色々ありまして(便利な言葉)……具体的にはジャッキーさんに心身と時間の余裕がなかったゆえ、ものすごく間が空いてしまいました。申し訳ありません。今回もおもしろいのでお許しください! 山梨の山中にて静養しつつ編集いたしました。 ……収録が3月なのでもし違和感あったらごめんなさい~。 【目次】 ○弱者が強者に転じる循環について ・時代が流れ、ルールが変わることで弱者が強者になる ・柔軟な「86年の高校生」が強者に転じた? ・りりちゃんも関係ある? ・そのような循環は歴史上くり返されてきた ・ユダヤ人、芸能界…… ・その芸能界もついにひっくり返される時が? ジャニーズ帝国の崩壊、松本人志の活動休止…… ・権威はいつか失墜する ・この「下剋上の歴史」をいつまでくり返すのか? ○ゆる弱者ラジオ ・これ聴いてるのは「強者になろうという気はない人たち」? ・氷砂糖のふたりも、あまり強者になろうとは思っていない ・弱者でも強者でもない、中者? ただの者? ・何者でもないけど「自分」であり続ける感じ? ・ぷにょさんは「見つかりたくない」 ・注目されるとちょっとのミスもつつかれる ・ジャッキーさんは「バズりたい」が、「売れたくもない」 ・叩いたらどれだけ埃が出てくるか! ・「埃の重りで夜学バー潰れますよ」「キャンセルされますよ」 ・人間には、人様には見せられない、陰の部分がある ・こっそりやれば「面白いね」で済んでたことも……もちろん「地上波」では流せないけど、特別な、楽しいこと ・「どこに出しても恥ずかしくないもの」しか許されないのは、おもんない ○こっそりと、対等に ・だからYouTubeとかではなく「10人も入れないような小さなお店」で言論の自由を謳歌しているのだ ・知能が高いっていうことは、意地が悪いってことでもある? カラスの例 ・強者になればなるほど「こっそり」を失っていく ・巨大化すると当たり判定も大きくなる ・松本人志さんの件も、「弱者男性」だったら「しょうがないわね」で許されたのだろうか? ・「対等な関係が結べないということは、すごいリスクですよね」 ・対等じゃないってことは、ルールが変われば逆転しうるということ ・力を持つと自動的に「対等」ではなくなる ・爆笑問題の太田光さんや杉村太蔵さんは、「いかに権威的にならないか」を徹底している ○ナンチャンの何がすごいか――引き算の芸 ・ウッチャンナンチャンも「いかに権力を握らないか、握っているように見えないか」に腐心していると思う ・太田さんの「恐妻家」キャラや、光代さんの存在がバランスを取っているのではないか ・(むしろいずれ光代さんが大炎上する可能性のほうが想像しやすい) ・「ちょっとバカにされておく」という戦法 ・みんなナンチャンの凄さにまったくピンときていない そこがすごい ・「剣の達人は剣を持たない」を体現している ・90年代前半はナンチャンがものすごく前に出ていたが、だんだん洗練されて「面白いことをしないし言わなくても、なんだか良い」と無意識に感じさせるようにしているのではないだろうか ・ドラマ『不適切にもほどがある!』における八嶋智人さんのようなもの ・いてもいなくてもいいように思えるが、実はいないと成立しない ・存在感がない人間は替えが効かない ・タモリさんもそういう存在だったのかも ・「タモリって面白くないよね」と思われていた90年代 ・2000年代以降から「実はタモリってすごいよね」になっていったと思う(クイック・ジャパンのタモリ特集が2002年) ・「気配を消す」ことが一番の芸 ・引き算の、日本的な芸能(ナンチャンが狂言や落語などをやっていることも関係するかも) ・「本当のこと」という透明な感じのものを見つめていると、だんだん「引く」ほうに興味がいくようになるのでは? ○夜学バーにおける「引き算の美学」 ・なぜ夜学バーが「強者になりたがらない人たちにとってかけがえのない場所(自称)」でありつづけられるのか? まずは店主が「べらべらぐいぐい喋らない」ということがある お客さんが「何かしなきゃ」という気持...