【目次】 ○「ピーター・パン」とジャッキーさんの関わり ・ジャッキーさんの歴史 小4で「陰キャ」から覚醒し、小5でピーター・パンを演じる ・「このままでは地位が低いままなので、明るい人間になろう」 ・自認が9歳なのは、「覚醒前の状態」がベースだから ・「服」ができたのが17歳くらい ・覚醒後、1年で学芸会の主役、2年で小学校のスターに ・演じることによってピーターがインストールされてしまった(たぶん11歳になる誕生日の前後)←本編では10歳と言ってしまっております ・小説版の『ピーター・アンド・ウェンディ』が好き。おすすめは偕成社文庫の芹生一訳 ・卒論もこの作品で書きました ○ピーター・パンという概念について ・ウェンディは大人になるが、ピーターは大人にならない ・おばあちゃんの代からずっと「いる」存在 ・自分はそういうふうなのかな、と思うこともある みんなから「卒業」されていく存在かと思った時期もある ・でもジャッキーさんは成長する「人間」なので、そうではない ・「子供の時にだけあなたに訪れる」は好きじゃない ・『雪渡り』は好きなのだが ・「小さいころは神様がいて」も同じ? ・「大人になっても奇蹟は起こるよ」→じゃあいい歌だね ・「あの曲のこざかしいところは」「小さい時の気持ちを人質にとって」 ・夜学バーに来たらもっとひどいことがたくさん聞ける(かも) ・「大人になったら忘れてしまうよね」は嫌いなのだ ・大人になっ「ても」というところに引っかかってしまう ・今、素敵な気持ちを持ってくださいって僕は思うんです!(誰に言ってんだろうね) ・傲慢で不親切なジャッキーさん ・年をとるピーターでいたい ・小沢健二さんも「僕は年をとるので」と言っていた(邪悪は年をとらない) 「本当に誕生するのはパパとママのほうで 少年と少女の存在はベイビーたちが続けていくよ」(小沢健二『涙は透明な血なのか?(サメが来ないうちに』) ・邪悪は若い女の人の肉体に宿る ・少年と少女という概念はベイビーたちが引き継いでいく ・「出番を終えた若い詩人たちがリハーサルを終えて出てくる」 ・ピーター・パンという概念は続いていく ・年をとりながらも、その概念の片棒は担ぎたい ・年をとりたくない、とかアンチエイジングに命かけるということではなく、ともあれニコニコしていたい ・自分がピーター・パンでしかないならば、「再会」ができない ○『ピーター・パンとウェンディ』について ・ピーターが大人にならないから好き、というわけでは全くない ・ともかく面白い、とりわけ序盤の語り口がすさまじい ・ぷにょさんも言葉づかいや言い回しに感動した ・「こんな言葉浴びたことない」 ・なんとなくショタコンになった気はするけど ・ピーターパンという存在に憧れたわけではない ・大人になりたくないと思ったこともたぶんない ・一度出会った友達と二度と会えないのはイヤだ ・ピーターは、概念としての子供たちと遊んでいるだけで、同じ子供と遊ぶことはない(あったとしても忘れている) ・ピーター・パンになるのは寂しい さよならだけの人生 ・再会できる人間になりたい ・ウェンディと遊べないのは耐えられない ・ジャッキーさんの元同僚たちの話…… ・新鮮さを求めているようで、同じものを享受しているだけ ○ピーター・パンにならないために ・「再会」を前提に人と付き合っていたい ・そのためにはピーター・パンになってはいけない ・ピーター型だと誤解されがちな人間 ジャッキーさんも、小沢健二さんも? ・「過ぎたことにしない」という姿勢 ・うしろを振り返らないで、前ばかりを見ていると ・見える角度が広がっていく ・おばあさんにも見えるし、少女にも見えるような人 ・すべてを引き連れて年をとっていく ・きれいにたたんでたんすにしまう ・同時に取り出せる ・ジャッキーさんの好きな老婆 ・金沢の「純喫茶ローレンス」 ・わたしは年老いた森の小りす ・「年老いた」と「小りす」は同時にありうる! ・都会だけど森の小りす、というのもとてもいい ・その極致は楳図かずお先生 存在自体が...