コリント人への手紙第二2章4節
「私は大きな苦しみと心の嘆きから、涙ながらにあなたがたに手紙を書きました。それは、あなたがたを悲しませるためではなく、私があなたがたに対して抱いている、あふれるばかりの愛を、あなたがたに知ってもらうためでした。」
一昨日の台風によって家のベランダに置いてあった物置が壊れ、中にあったたくさんの古い思い出の品々が飛ばされて水没してしまいました。停電も重なる中で、今日明日に再びやって来る大風に備えて何とか応急措置をしました。このような中で命が守られたことを神さまに感謝いたします。
今日の第二コリント2章4節には、パウロが大きな苦しみを持って、涙ながらに手紙を書いたことが記されています。この手紙は第一コリントのことではなく、恐らく今は失われている別の手紙があったというのが大方の聖書学者の見解です。それは2章で記されている内容と第一コリントの内容が合致しないからです。パウロは前に書いた手紙で、ある人の罪を恐らく名指しで指摘し、悔い改めを迫ったものと思われます。その人はパウロに大きな悲しみを与えただけでなく、コリント教会全体に悲しみを与えました。そして恐らく、現在では教会戒規と呼ばれる、大きな罪を犯した教会員に対してなされる処分をコリント教会が発動させ、その人を教会から排除したものと思われます。このような教会戒規がなされる時、教会は大きな傷を受けます。これまで神の家族として共に交わり歩んできた仲間を、本人の罪の故とはいえ、交わりから絶たなければならないのです。しかし、結果的にその苦渋の決断は功を奏し、後に排除されたその人は自らの過ちを認め、悔い改めたものと思われます。それで、パウロは7節でその人を赦し、慰めるようにと伝えています。
このような背景を元にこの2章は書かれています。今日の4節には、パウロが前に書いた手紙は教会を悲しませるためではなく、自分がどんなに教会を愛しているかを知ってもらうためだったという真の目的について記しています。パウロが手紙を書くとき、それは一時の感情に任せた殴り書きのようなものではありません。書く内容を熟慮し、愛と祈り心を持って書き送るのです。だからと言って、お茶を濁すようなあいまいな書き方をせず、意図が伝わるようにストレートに過ちを指摘します。この絶妙なバランスは、すべてのクリスチャンが学ぶべきことです。過ちや罪はほっておくべきものではありません。それは病気を放置するようなものです。やがて教会全体を蝕むことになり兼ねません。罪の指摘は教会の秩序と清さを保ち、神に対する畏れを共有するものです。イエスご自身がマタイ18章で、罪を犯した兄弟に対してどのように指摘すべきかを教えておられます。これは決して裁きではなく、愛の行いです。同時に忘れてはならないことは、私たちはみな同じ過ちを犯してしまう弱さがあるということです。私たちは等しく罪びとです。罪びとゆえに、他者を指摘する前に自分自身のあり方が問われます。イエスキリストの十字架の赦しなしには、私たちはだれ一人神の前に立つことなどできないのです。自分自身の信仰と行いを振り返りながら、教会が真に清められるように祈っていきましょう。サタンの巧妙な罠に陥ることがないように、すべてを愛と信仰をもって行いましょう。