コリント人への手紙第二4章17-18節
「私たちの一時の軽い苦難は、それとは比べ物にならないほど重い永遠の栄光を、私たちにもたらすのです。私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。」
この世界には目に見えないけれど存在しているものがたくさんあります。むしろ科学的に言えば、私たちの肉眼で観察できるものは全体のごく一部に過ぎません。というのも、私たちの目が感知できる光は可視光線と呼ばれるごくわずかな範囲の波長の光だけです。それより長い波長の光や短い波長の光は、肉眼では捉えることができないのです。ですので、自分の目で見えるものしか信じられないという人がいれば、その人は宗教がどうこうという前に、科学を知らない人ということができるでしょう。目で見えるか見えないかは、この宇宙の中で起きている数多くの現象の中では、全く意味をなさない議論なのです。
今日の御言葉は、時空を超えた視点で物事を捉えているという点で、とても科学的です。私たちはクリスチャンであるなしに関わらず、苦しみを経験します。苦しみのただ中にいる時は、その苦しみが永遠に続くかのように感じられるときがあります。あまりにも辛すぎて早く過ぎ去ってほしいと心から願います。愛なる神はもちろん私たちを苦難から解放することがおできになりますが、その苦難からの解放ということ以上に大切な真理を私たちに教えておられます。それは、私たちが経験する苦難はほんのひと時に過ぎず、やがて私たちが経験することになる神の栄光と比べると実に軽いものだということです。この苦しみはいったいいつまで続くのかと思うようなものでも、永遠に比べればほんの一瞬に過ぎないのです。これが神の視点です。
もう一つの大切なことは、目に見えるものではなく見えないものにこそ私たちは目を留めるべきであるということです。先ほど目に見えないものがいかに多いかという話をしましたが、実際本当に大切なことの多くは目で見ることができません。聖書にはいつまでも残るものは信仰と希望と愛であると書かれていますが、この3つはすべて目に見えないものです。ところが、私たちはあまりにも目に見えるものに心を奪われ、そのようなものに無駄な時間や労力を費やしています。また自分が人の目にどう映るのかということをあまりにも気にし過ぎています。どんなにアンチエイジングを頑張ったところで、私たちの肉体は日々衰えていくだけです。私たちが本当に心を向けるべきは、目に見えないものであり、永遠なるものです。今日の御言葉に「見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです」とある通りです。あなたは何に人生を掛けていますか。何に最も自分のエネルギーを注いでいますか。それはやがて消え失せてしまうものですか。それとも永遠に続くものですか。
神は私たちにイエス・キリストを通して永遠の命を与えておられます。2000年前にゴルゴタの丘の上で私たちの罪を赦すために十字架に掛かられ、死んで墓に葬られ、3日目によみがえられたこのイエスを心から信じる者は誰でも永遠の命を得ることができるのです。