コリント人への手紙第二5章17節
「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」
今月初めに沖縄にやって来た台風6号によって、ベランダに置いてあった私たちの家の古い物置が壊れてしまいました。物置の中には、古いアルバムや子どもたちが小さかった頃に書いた絵やノートなどがあり、その一部が水浸しになってしまいました。大切にとっておいたものが一部修復不可能になってしまったことは大変残念でしたが、誰もケガすることなく守られたことは大変感謝なことでした。
日本では地震や台風や豪雨による自然災害がつきものですが、先日はハワイのマウイ島で大規模な火事が発生し、カナダでは現在も山火事が起きていて懸命な消火活動が続けられています。そのような災害が起こる度に、そこの住民が大切にしてきた家や車などがなくなってしまい、私たちは心が痛みます。被災された方々が一日も早く生活を建て直し、日常を取り戻すことができるようにとお祈りいたします。
このようなニュースを見聞きして思うことは、私たちが手にしている物や財産はすべて一時的なものに過ぎないことです。事実として、仮に自然災害に遭わなかったとしても、形あるものは必ず消え失せてしまうのです。過去に多くの文明が興っては一時的に栄華を極め、圧倒的な政治力や軍事力で世界を席巻しましたが、すべて衰退し歴史の中に埋もれて行きました。すべてのものは古くなり、この世界からなくなってしまいます。
しかし聖書によれば、古くならず、新しくされるものがあるというのです。それはキリストにある命です。形あるものはすべて古くなって消えていくわけですが、それは人間も同様ですね。私たちは日々年を重ね、からだの機能は徐々に低下し、死に近づいていきます。しかし、今日の御言葉には、「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です」とあります。イエス・キリストと出会い、イエスが主であり救い主であることを心に受け入れたならば、その人は新しくされるというのです。顔かたちが変わるわけではありません。しかしその人の魂と霊はまったく作り変えられているのです。私たちの生まれながらに持っている人格は、罪によって滅びゆく運命にあります。しかし、イエスキリストが十字架で私たちの罪の身代わりとなって死んでくださり、私たちの罪の代価をすべて支払ってくださいました。私たちはイエスを信じ受け入れることで、罪の赦しを確かなものとし、全く新しくされた魂と霊によって生きるのです。「古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」と書かれているとおりです。この新しいいのちは永遠の命です。もはや古くなることも、消失してしまうこともなく、やがて私たちがいただく復活のからだと一つとなり永遠に続くものです。
私たちはやがて古びてなくなってしまうものに心を奪われ、それらに大切な人生を委ねるべきではありません。それらは地上での私たちの生活を一時的に豊かにしますが、やがて消え失せるのです。何一つ天国に持って行けません。いつまでもなくなることのない、最高に価値のあるものに心を向けましょう。イエスを受け入れて全く新しいいのちをいただき、永遠に向かって歩み続けましょう。