コリント人への手紙第二3章6節
「神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。文字(もんじ)に仕える者ではなく、御霊に仕える者となる資格です。文字(もんじ)は殺し、御霊は生かすからです。」
聖書は旧約聖書と新約聖書の二つに分かれていますが、旧約や新約の約は「契約」の約という意味です。ですので、旧約は古い契約、新約は新しい契約です。旧約は神がご自身の民として選ばれたイスラエル民族との間に交わした契約ですが、それを土台として、イエスキリストを通して全人類との間に新しい契約を交わされました。古い契約を支えているのは律法です。律法はモーセの十戒を中心として613の戒めからなり、どのようにして神に仕えなければならないか、そしてイスラエルが信仰共同体として生きるために何が必要なのかが細かく規定されています。
パウロは元々この律法をがちがちに守り実践するパリサイ派のユダヤ教徒でした。彼にとっては律法を守る事こそが神に仕えることであり、それを新しい教えで上書きしてしまったイエス・キリストはとんでもない異端者でした。そうしてパウロはキリスト教を撲滅するために息巻いて迫害に迫害を重ねていたのですが、ある時彼自身がイエスと衝撃的な出会いを経験し、ものの見事にクリスチャンになってしまうのです。かくして彼はキリスト教史上最大の伝道者となり、福音を世界中に広めました。
このようなパウロだからこそ、もはや私たちは律法ではなく、イエス・キリストを通して救われるとする新しい契約の教えが説得力を持って私たちに迫ってきます。今日の御言葉に、「神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました」とあります。この新しい契約は、イエス・キリストによって与えられた福音ですね。私たちは信仰によってこの新しい契約の中に入れられたのです。そしてパウロは「文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者となる資格です」と語り、神が与えられた新しい契約に仕える者となる資格は、文字にではなく、御霊に仕える者となる資格なのだと説明します。ここで文字というのは律法のことです。律法は文字として記され民に読まれてきたのです。しかし、律法は不完全でした。律法は人を救うものではありませんでした。結局のところ、律法を完全に守ることができる人など一人もいなかったからです。イエスが来られ新しい契約にアップデートされてようやく完全なものとなったのです。それ以来、人はもはや文字に仕える必要はなくなり、イエスを受け入れた時に与えられる御霊に仕える者となったのです。
パウロは「文字(もんじ)は殺し、御霊は生かすからです」と語り、律法と福音の決定的な違いを述べています。律法は人を罪に定めます。人を縛ります。しかしイエスが私たちを律法の呪縛から解き放ってくださいました。イエスが与える御霊は信じる者に自由を与え、人を解放します。クリスチャンは御霊の導きに従って生きています。御霊に満たされた生活は人をより豊かに、より自由に、より喜びに溢れさせます。あなたには自由がありますか。喜びがありますか。イエスを心に信じ受け入れている人は、どんな困難な中にあっても自由と喜びと解放を得ることができます。あなたも是非、このお方と共に生き、御霊の力をいただいてください。