コリント人への手紙第二3章18節
「私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」
昨日まで2泊3日の中高生キャンプにスタッフとして参加をしていました。私はシャイで人前で喋るのがあまり得意じゃない中学校1年生と2年生のクラスを担当しました。最初は私の問いかけにもほとんど答えてくれなかった子どもたちも、緊張がほどけたのか、最後にはだいぶ表情も和らぎ、キャンプファイヤーの時に自発的に証しをしてくれた子もいました。
今回のように宿泊を伴うキャンプは実に4年ぶりのことでしたが、参加するたびに子どもたちが変えられていく姿にスタッフが一番励まされます。短い期間ですが、講師の先生やグループタイムの時に聖書の言葉をじっくりと学び、同世代の仲間と楽しく交わる中で、神の愛に触れ、励まされ、自分の価値に気付かされてゆくのです。
実は私も中高生の頃は引っ込み思案で内気で、人前で喋ることが大の苦手でした。マイクを持たされると完全に頭の中が真っ白になり言葉がまったく出てこないような子でした。人前で堂々と上手にお話ができる子を見るととてもうらやましいと思いました。今の私しか知らない人にこの話をすると、ほとんどの人が「冗談ですよね。」とびっくりされます。でも私は神さまに変えられたのです。そして最初から何でもできて、物おじせず誰とでもお話しできるキャラクターじゃなかったこと、そのことの中にも神さまのご計画の中にあったと信じることができます。今回のようなキャンプで、シャイな子どもたちと向き合う時、「先生もね、そうだったんだよ。でも、神さまが先生を変えてくださったんだよ。今では毎週説教している。神さまは人を変える力があるんだよ。」と自分の経験から分かち合うことができ、励ますことができます。
今日の御言葉には、「私たちは変えられていく」と書かれています。しかも普通の変えられ方ではありません。第一番目に「主の栄光を映しつつ変えられる」ということです。主の栄光とはとてつもない栄光です。聖書にはたびたび神の栄光が照らし出されるという表現がありますが、そのとき人はあまりにもその栄光が神々しいために直視することができなくなります。イエスを信じる者は、イエスの愛を受けてその人自身が鏡のようにイエスを映し出すようになるのです。第2番目に、「イエスと同じ姿に変えられていく」とあります。私たちがイエスと同じ姿になるというのはあまりにも恐れ多いと思うかもしれません。もちろんイエスと同化するのではありません。しかし、イエスを信頼し、イエスに従うことを願う者は、自然にイエスと同じ性質を帯びるようになるのです。第三番目に栄光から栄光へと変えられます。これは最終的に私たちが天に召される時、実現する栄化という変化を指します。私たちが生きている間に起こる変化は、肉体的な制約や罪の性質があって完全ではありません。しかし、その制約から解き放たれた時、私たちは完全に変えられます。これらの変化は私たち自身の努力ではなく、聖霊なる神の働きによります。どんな人でもイエスへの信仰により、聖霊の力によって変えられます。誰でもです。私も変えられました。あなたも変えられます。イエスを心から喜び信頼し、期待しましょう。