コリント人への手紙第二4章6-7節
「『闇の中から光が輝き出よ』と言われた神が、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせるために、私たちの心を照らしてくださったのです。私たちは、この宝を土の器の中に入れています。それは、この計り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかになるためです。」
聖書によれば、人間は他の動物たちと違って神が土のちりから形作られました。さらに人間には他の動物にはない特徴が二つあります。一つは神の形に似せて作られたということ、もう一つは、神の息が吹き込まれたということです。神のかたちに似せて造られたということは、物理的な姿かたちのことではなく、精神的、道徳的、社会的に神のような一面を持ち、神の栄光を表すものとされたということです。また、神の息が吹き込まれたということは、人が神を意識し、神と交わり、神を礼拝するものとされたということです。このようにして、人は他の動物とは異なった存在として、神が特別に創造されたわけですから、人の命の価値を他の生物と同等に見なすべきではありません。もちろん、地球上のあらゆる生物は等しく神の創造によるものであり、愛すべき、保護すべきものですが、命の価値という点で差があるのです。しかし、残念なことに人は罪を犯したために神の栄光を受けられなってしまいました。
今日の第二コリントの御言葉によれば、私たちの創造主は、キリストを通して私たちの心を再び神の栄光に輝かせてくださいました。つまり、神の栄光に満ちたキリストを知ることによって、私たちの心にも光が輝くということです。神は「光あれ」と言われて闇の中に光を創造されましたが、まさに私たちの心が闇のようであっても、神の栄光が光り輝くのです。罪によって、神のかたちが歪められ霊的に目が閉ざされてしまった私たちですが、キリストを通して、本来の姿を回復することができるのです。
7節にはとても素敵な聖句が書かれています。「私たちは、この宝を土の器の中に入れています」と言うのです。この宝というのは、一言で言えば神の栄光です。他の生物には見られない、人間だけに与えられた神からのプレゼントです。普通大切なプレゼントは、それにふさわしい入れ物に入れておきます。宝石であれば、その宝石に見合った高級な宝箱に保管するでしょう。しかし、神からのプレゼントは金や銀の器ではなく、土の器に入れているというのです。土の器は地味で決してきらびやかではありません。また欠けたり、傷ついたりしやすいものです。価値あるプレゼントを入れておくには相応しいとは言えません。事実私たちは、傷つきやすく、もろく、いろんな意味で欠けだらけです。しかし、そんな私たちを、神はありのままで愛して下さり、私たちを用いてくださるのです。土の器のような私たちを神の栄光を輝かせる価値あるものと見なしてくださるのです。パウロはさらに「それは、この計り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかになるためです」と書きました。私たちがおごり高ぶることなく、ただ神だけを見上げ、神に栄光をお返しするために、私たちは土の器のままで生かされているのです。欠けていても、傷があっても私たちの価値は変わりません。キリストを通して価値あるものとされていることを喜び、今日も神に栄光をお返ししましょう。