コリント人への手紙第二1章11節
「あなたがたも祈りによって協力してくれれば、神は私たちを救い出してくださいます。そのようにして、多くの人たちの助けを通して私たちに与えられた恵みについて、多くの人たちが感謝をささげるようになるのです。」
この雨風の音が聞こえますでしょうか。台風6号の再接近中に録音をしています。ちょうど部屋の窓が南に面しているため、南からの強烈な暴風が窓を打ち付けていて、振動も感じるほどです。小禄教会の対策は抜かりがなかったか心配なのですが、祈りつつメッセージをお届けいたします。
今日の第二コリントの聖句は、私たちが他者のために祈る「執り成しの祈り」と呼ばれる祈りについて二つの大切な要素を教えています。まず、「あなたがたも祈りによって協力してくれれば、神は私たちを救い出してくださいます。」と書いています。パウロはこの手紙の読み手であるコリント教会に対して、自分のために祈ってほしいとリクエストをしています。「祈りによって協力してほしい」という表現がとても素敵だと思いませんか。実はパウロはこの聖句の前に、自分が経験してきた数々の困難について分かち合っています。文字通り霊的な暴風を何度も経験したパウロにとって、他のクリスチャンに祈ってもらう事ほど必要な協力はなかったでしょう。するとどうなるでしょうか。「神は私たちを救い出してくださいます」という言葉に表されているように、クリスチャンの真摯な祈りは神に届けられ、神はそれを聞いてくださり、祈りに答えてくださるのです。執り成しの祈りは祈られる人を救うのです。
次に、「そのようにして、多くの人たちの助けを通して私たちに与えられた恵みについて、多くの人たちが感謝をささげるようになるのです」という執り成しの祈りの二つ目の側面に触れています。これは祈ったことが神に聞き届けられることにより、祈った人たちもまた恵みを受け、感謝を捧げることができるというのです。「情けは人の為ならず」と言う言葉があります。これは他者に示した恩はいずれ自分に返って来るという意味ですが、執り成しの祈りの祝福も同じように自分に返って来るのです。
私たち家族がネパールに住んでいた2006年3月に、当時5歳だった私の次男がバイクにひかれて頭蓋骨を骨折する大けがをし、病院に緊急搬送されたことがありました。集会に行く準備をしてた私と妻は急いで病院に駆けつけました。目の前で起きていることが現実とは思えないような感覚の中、ただただ祈りながら病院の医師が施す治療を見守るしかありませんでした。そんな中、この事故のことを聞きつけた教会の人たちがすぐに執り成しの祈りの輪を作り、病院内外で祈りを捧げてくださいました。手術は無事終わり、次男は周りも驚くほど早く回復し、4日後には退院ができました。それまでずうっと病院で付き添っていた私が自宅に戻ってパソコンを開けると、本当に驚きました。なんと世界中から祈りのメールが何百通と届いていたのです。ネパールの教会の牧師が世界中のバプテスト教会に祈りの要請をしていたのです。あの時の感動を今でも忘れることはできません。執り成しの祈りの力と、それを聞いてくださる確かな神の守りをあれほど強く感じたことはありませんでした。私たちの祈りは無駄ではありません。神は祈りに答えられ、私たちを試練の中から助けてくださいます。